田中宏和 (野球)
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 |
奈良県宇陀郡榛原町 (現・宇陀市) |
生年月日 | 1976年7月18日(48歳) |
身長 体重 |
181 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1994年 ドラフト1位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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田中 宏和(たなか ひろかず、1976年7月18日 - )は、奈良県出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴
[編集]桜井商業高校(現在の奈良県立奈良情報商業高等学校)への在学中は春夏とも甲子園球場の全国大会と無縁であったが、3年時(1994年)夏の県大会では3回戦で智辯学園のエース福井敬治と投げ合うと自らの決勝打で勝利、決勝では天理高校に本塁打の1点で敗れた[1]。
140km/h台後半のストレート、カーブ、スライダーを投げ分けられる大型投手との評価を背景に、1994年秋のNPBドラフト会議で近鉄バファローズから1位で指名。嘉㔟敏弘への独占交渉権をオリックスブルーウェーブとの指名重複による抽選で逃したことに伴う再指名(いわゆる「外れ1位」)だったが、桜井商業高校の出身者としては駒田徳広内野手(在学中は投手で1980年のNPBドラフト会議2位指名を経て読売ジャイアンツへ入団)以来3人目のプロ野球(NPB)選手だった。
近鉄在籍中は一軍公式戦への登板に至らず、1999年限りで現役を引退。
引退後は、製造業を営む会社へ勤務している。
余談
[編集]2014年から展開されている「タナカヒロカズの会」は、本名が「田中宏和」という別人(広告会社の社員)が田中のプロ指名をきっかけに1994年から始めた田中宏和運動に由来している。当記事の田中宏和も「36番目の田中宏和」として、引退後の2011年からこの運動に参加しており、他の参加者からは上記の発起人(「ほぼ幹事の田中宏和さん」)などと区別する目的で「ピッチャーの田中宏和さん」の愛称で呼ばれている[2]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 30 (1995年 - 1998年)
- 67 (1999年)
脚注
[編集]- ^ ベースボールマガジン1995年春季号「高校新卒ルーキーくん28人の横顔」ベースボールマガジン社
- ^ 67人の「田中宏和」さんが集まった世界記録の瞬間